ものかき雑兵日記

アマチュアでライトノベルを書いたりしている、へぼい物書きのブログです。当ブログでは小説に関する話題や、AC(アーマードコア)に関する話題などを掲載しております。

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分かりやすい文章について

 世の中には様々な文章があふれていますよね。しかし、そのどれもが読みやすいわけではありません。
 中には読みづらかったりする文章が沢山あったりします。それがネット上のチラ裏みたいな文章なら、書き手が悪いのだと思うこともできます。ですが、著名な学者さんとかが書いた文だと、「自分の頭が悪いから、この文章の意味が分からないのだ」と悲観しちゃうこともありますよね。


 今回はその「分かりやすい文章」について、自分の考えたことを書いていきたいと思います。


 世の中には色んな文章があります。書籍、インターネット、手紙、メールなど。私たちが日常で読む文章というのは、内容も千差万別です。
 ですが、中には一発で意味が読み取れなかったり、何を書いてるのかさっぱり分からないといったものもよく見かけます。

 そういう文章は「悪文」と呼ばれていますよね。文字通り悪質な文章だから、悪文です。


 私は分かりにくい文章というのが、大嫌いです。
 特に一発で意味を取れないような文は、見た瞬間に本を閉じるか、ページを変えるようにしています。

 文章っていうのは読まれてナンボの代物です。誰かに読んでもらえない文章なんて、なんの価値もないと自分は思っています。読まれない文章というのは、誰にも見られない絵画や、誰にも聴かれない音楽と一緒です。存在してはいても価値は無いんです。
 それに小難しくて分かりにくい文章なんて、読んでてストレスが溜まるだけでしょ? ストレスが溜まるような文章なんて、自分は読みたいとも思いません。


 でもねー、世の中にはあるんですよ、「わざわざ読みづらくした文章」というのが。
 「学者」の先生が書いた文章とかがそれにあたります。意識せずに難しくなってしまうということはありますが、ここでいうのは「意識して難しくした文章」のことです。
 多くの場合、それは誤魔化しのために行われます。自分の論文に中身が無いことを(少なくとも部外者に)悟られないようにするために、難解な言い回しやもったいぶった表現を使うわけです。
 なんというのか、非常にさもしい行為だと思います。

 ちなみに、これを批判しようとしてアラン・ソーカルという数学者が起こしたソーカル事件というものがあります。
 ソーカル氏は、かねてより哲学者たちが、難解な数学・科学用語を使って自分の論文を権威付けることを苦々しく思っておられました。そこでその嘘をあばくために、難しい科学用語を使ったでたらめな哲学論文を、有名な評論誌に送りつけたのですね。そして、そのデタラメ論文はめでたく雑誌に掲載され、その後ソーカル氏はその論文がインチキであることを、自ら公表してみせたのです。
 その結果、その評論誌と多くの哲学者は大恥をかいて、評判を大きく落とすことになりました。


 でまあ、何が言いたいのかというと。
「難解な文章に、必ずしも中身があるわけじゃない」ってことです。むしろ中身なんか無いことの方が多いです。
 いまだに沢山の人が「難解=高尚」と勘違いされておられるようですが、自分の考えは違います。

 私の考えは「難解=意味が無い」です。
 極端な意見かもしれないですが、これが自分の偽らざる気持ちです。
 どんなに難しい事柄でも、考えを尽くして、努力して、噛み砕いていけば、誰にでも分かりやすく表現することは十分可能なはずです。それをしないのは、ただの怠慢です。



 難しいことを難しく書くなんてのは、誰にだってできることです。

 簡単な事を難しく書くのは、度しがたい阿呆のやることです。

 難しいことを、分かりやすく簡単に書くのが、本当のプロフェッショナルなのです。



追記)
 これは私的な意見なのですが、どんなに著名な学者の方が書いた文章でも、読みづらければそれは悪文だと思っています。
 というか、書いた本人の肩書きで文章の評価が左右されるのもおかしな話なんですが。文章というのは、純粋に中身で評価されるべきなんですから。
 これは他のどんなメディアでも同じことですよね。映画・アニメ・音楽・ゲームなどにおいても。

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コメント

はじめまして^^

とってもスッキリした気分です。
私が言えなかったことを言ってもらえたような気さえしてきました。^^

お給料をもらってる身で悪くいうのも気が引けますが、
私が勤める会社の社長は、月に1度のインターネット朝礼で やたら横文字を使いたがります。
私としては日本語で言って欲しいのです。意味がわかりません。
そして、社報に関しても英語の単語が記されています。
単語の意味がわからないのです。
難解です。そして大阪弁なんです。
本当は大阪弁でイラついてしまうのですが…

先日、映画化された小説を読みました。
○○大賞をとった作品です。
おもしろいとは思いましたが、
普段余り使わない言葉や漢字がとても多く感じ、辞書片手に読みました。医師が書いた小説でした。やっぱりねという感じ。爆

私の頭がついていってないのもわかりますが・・・。笑


小さく一人うなずいてしまうのは私だけでしょうか・・・

  • 2008/05/17(土) 14:25:53 |
  • URL |
  • ベニー #npqL4zHc
  • [ 編集]

世の中で一番高尚な本は絵本だと思ってます。

  • 2008/05/17(土) 15:35:33 |
  • URL |
  • れいぷん #-
  • [ 編集]

雑兵さんの文章って、一文が短いなーって思ってたんですが、そういうことですか。目から鱗です。

  • 2008/05/17(土) 15:38:56 |
  • URL |
  • #-
  • [ 編集]

文章を読んで上手いと思う時って、多くの場合「自分がそれまで考え付かなかった表現」だと思うんですよ。
こういう書き方があったか、とか、そういう言い回しを使うのか、とか。
それを凄く平たく言っちゃうと、つまり「自分の知らない表現」であって、≒難解なんだと頭の中で置き換えてしまう。
難しいことを知らないのは当たり前だから、そこで上手い文章(知らなかった表現)というのは難しいものなんだ、と錯覚する訳ですね。

ただその一方で、やっぱり語彙は多いに越したことないんですよ。
ボキャブラリーを増やそうとして、結果的に難解な言い回しに化けてしまう事も少なくないかと思います。
あるいは「この表現はちょっと稚拙なんじゃないか?」と疑りだして、文章を凝ったものにしたら冗長になってしまったり。

物凄いシンプルな書き方で「おお」と思わせるバランスの良い文章が理想なんですが…言うほど簡単じゃないんですよね、やっぱり。

  • 2008/05/17(土) 16:28:19 |
  • URL |
  • 69式 #HfMzn2gY
  • [ 編集]

>ベニー
 ありがとうございます、そう言っていただけると、書き手として嬉しいです。
 英語の件ですが、自分もそれは良くない……いえ、劣悪だと思います。
 よく知られた単語ならいざ知らず、誰も知らないような英単語を文章の中にちりばめるというのは、独りよがり以外のなにものでもないでしょう。自分が知的であるところを見せたいのか、欧米かぶれなのかどっちかは分かりませんが。
 特に、ビジネス文章というのは意味を確実に、かつ簡潔に伝えねばならないはずですが、そういう意味でも致命的であると思います(意味の履き違えなどで、仕事の手違いが起こりうるわけですし)

>れいぷん
 その意見は面白いですねw 絵本ってたしかに、簡単なように見えてとても深い意味が込められているんですよね。

>一文が短いなー
 私の文章のセンテンス(一文のことです)が短いのは、多分に海外小説の影響を受けているからなんです。
 海外小説というのは元々英語を邦訳したものですが、文がとても短いんですね。簡潔にして簡明、非常に分かりやすいんです。
 で、自分はもってまわった言い方とか、装飾が苦手でして……気づいたらこんな感じになってました(笑)
 それに、分かりやすい文章というのはセンテンスが短いものなんです。センテンスが短いことで文脈を区切ることができますし、そうすると意味を小分けにして、読み手が吸収しやすくなるんですよ。

>69式
 うーん……そうですか? 自分は新しい表現を見ても、そんなに難しいと感じたことは無かったんですが。
 それと語彙に関してですか、たしかに自分も凝った言い方にしようとして、結局分かりにくくなってしまったことというのがよくありました。
 それに、語彙を多く持っているというのと、その語彙を自在に使いこなせるというのはまた別のことなんですよね。

  • 2008/05/17(土) 17:37:50 |
  • URL |
  • 雑兵 #-
  • [ 編集]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • 2008/05/17(土) 19:16:55 |
  • |
  • #
  • [ 編集]

言葉を飾ることに意味は無い・・・ウィン・D・ファンションが言った台詞ですが、この台詞と雑兵氏の言った分かりやすい文章というのに共通点があると思うんです。どうでしょうか?

  • 2008/05/17(土) 21:24:46 |
  • URL |
  • ALLIYA #UzUN//t6
  • [ 編集]

話がそれている気がしなくもないのですが、
 アーマードコアって、セリフが少し抽象的だったり いきなりわけわからんこと言ったりするので ストーリーはわかりにくい部類なんでしょうか?深く考えてもすべてのセリフを私は理解できません
 雑兵氏がフロムのストーリーづくりの特徴 ACのストーリーの特徴をどう捉えているのですか?

  • 2008/05/18(日) 00:40:45 |
  • URL |
  • ほぎゃ #-
  • [ 編集]

確かにその通りですよね
ですがわざわざ読みづらくしたものは論外として、誰を対象とするかによって分かりやすさに幅が出るのは当然だと思うんですけど

  • 2008/05/18(日) 11:23:13 |
  • URL |
  • #-
  • [ 編集]

つまりラノベから文学まで表現の自由はあるけれど、装飾過多は厳禁ということ。霞スミカです。

曽根崎心中なんかは巧みにも繊細で個人的にとても美しい。私は世界で一番日本語が美しい言葉だと思う。手前味噌だがね。

  • 2008/05/18(日) 14:34:57 |
  • URL |
  • サクラコ #-
  • [ 編集]

 しかし、専門書を一般人がいきなり読んだり、無学な人がただ読めない漢字があるからといって、これを書いた奴は馬鹿だとか、この表現はおかしいと言うのはまた違う話。どこまでが難解であるかと定義するのはあくまで個人ですが、書いている本人は意味が分かっている以上、よほどの専門的知識や創作した単語でない限り内容がない文章なんてないと思いますよ。
 実際、表現の簡略化を行ってできたのが今流行のケータイ小説でしょうし。まあ、これは読んだことがないのであくまで憶測なんですけど。
 私はどちらかといえば文章を飾る人ですので、受け入れがたい思想だなぁと思いました。かといって胸を張って自分の正当性を語れるほど自信を持っているわけではないのですがね。

  • 2008/05/18(日) 15:57:05 |
  • URL |
  • 塵輔 #-
  • [ 編集]

>管理人のみ閲覧できます
 それほどすごい小説なら、ぜひ読んでみたいです。興味が出ました。
 あとですね、模倣から始めてみるのは普通だと思いますよ。ただ、一人だけから影響を受けると、文体がどうしてもその人に似てきてしまいますから、なるべく沢山の人の文体を真似るほうが、かえって自分だけの文体を模索できるかもしれません。

>ALLIYA
 まあ飾ることに意味はないって言い切れないんですけどねw 自分が嫌いなのは「分かりにくい文」で、「装飾がある文」ではないので。ただ「装飾過剰な文」は分かりにくくなりますが。

>ほぎゃ
 アーマードコアはですね……「語らなさすぎ」だとは思います。鍋島プロデューサーが、神社長の意向なのかは分かりませんが、それがACというゲームのコンセプトの一つにはなってるんですが。
 ACのストーリーが分かりにくいのは、極力ストーリーの描写を削り取っているためだと思います。そうすることで、ロボットゲームとして純粋に楽しめるよう作ったのかどうかはわかりませんが。
 まあ、そう考えてもイミフなことも多いんですが。案外中の人も考えてないんじゃないですかね?

>ですがわざわざ読みづらくしたものは論外として~
 そうですね、たしかに誰を対象とするかとして読み易さというものの基準は変わってくると思います。ただまあ、小説なら専門書と違って、中学から高校以上の人がストレスなく読めれば、それで大部分の人が読むことができるでしょう。対象が変わるといってもせいぜいその程度のレベルです。
 小学校や幼稚園レベルはまた別の話ですよ。

>サクラコ
 装飾過多な文は見苦しいですね。なんでもゴテゴテ飾り立てればいいというものでもないでしょう。
 あと曽根崎心中は読んでないんです。

>塵輔
 あー、専門書とかで書かれている用語とか、略語は仕方ないです。予備知識がないと分からないわけですし。自分が言っているのはそうではなくて、「わざと難解にした文章」のことです。ご覧になったことがないかもしれないですが、実際にそういった文章や論文というものが、世の中には溢れているんですよ。
 それに、専門書の全てが難解なわけではないです。きちんと分かりやすくかかれたものもあります。じゃあ、その分かりやすいのと分かりにくいのとは、一体どこで差が出ているんだろうってことです。そんなの、書き手の差しかありえないじゃないですか。こうしたことは、書き手の文章の構成の仕方とか、論理展開の仕方によっても分かりやすさが顕著に違ってきます。誰が書いても同じではないんですよ。
 あと、文章を飾ることと、「分かりやすい文」を書くことは相反しているように見えて、実際は違いますよ。飾ってあっても分かりやすい文なんていくらでもありますし。自分が嫌いなのは、ゴテゴテ飾りすぎて本来の意味が見えなくなってしまった「装飾過多な文」なんです。装飾を上手く使いこなして、読者が受け止めやすい文章を作る、それがプロフェッショナルなのでは? 装飾のせいで分かりにくくなっているのなら、それは装飾そのものを使いこなせてないということでしょう。

  • 2008/05/19(月) 20:30:31 |
  • URL |
  • 雑兵 #-
  • [ 編集]

 なるほど。どうやら私が勘違いしていたようです。申し訳ない。正直、理解できないものを駄文と言っているように見えてしまったもので……。どうやら私は、雑兵さんが仰る類の読みにくい文章に触れたことがないようです。
 そこで質問なのですが、市販されているもので雑兵さんが言うところの装飾のし過ぎで読みにくい、と思うものはあるのでしょうか? 参考として読んでみたいと思います。

  • 2008/05/19(月) 22:11:30 |
  • URL |
  • 塵輔 #-
  • [ 編集]

 記事には概ね同意です。
 ですが揚げ足を取るようで申し訳ないのですが、このソーカル事件は難解な理論を批判してるのではなく、要するに

「専門家が見れば明らかに成立してない理論を、不適当な専門用語で覆い隠し、一般人に対してあたかも成立しているかのように見せかける詐欺的技法を使用した学術論文」を批判してるのではないでしょうか?
 これらの技法は創作では常用されるもので(特に人型ロボものでは)何の問題もないので、ここで引用するのは適切ではないように思うのですがどうなのでしょうか。

  • 2008/05/22(木) 16:37:09 |
  • URL |
  • どっこい1号 #E9q6l6Gk
  • [ 編集]

なんだかこれ↓を思い出しました
ttp://www.kiwi-us.com/~amigo/otakuuta/osii.htm

ちなみに雑兵さんは押井作品についてはどう思われますか。

  • 2008/05/23(金) 02:13:11 |
  • URL |
  • Q #vXeIqmFk
  • [ 編集]

私が書いた文章の場合、「くどい」といわれることが多いですかね・・・。
ここまでで十分判るから、この行は削除ね!とか。

>どっこい1号さん
ソーカルの真意は、「思想家が~遊戯に興じるように使用していることへの批判だった」 んでしょう。学術論文への批判が目的ではないかと。
雑兵氏の引用の仕方も適切だと思います。「難解で無意味なもの」がこの世に存在するという、実例の紹介として。

  • 2008/06/02(月) 22:42:22 |
  • URL |
  • 通りすがり #-
  • [ 編集]

あー、やべ、忙しすぎてここのコメントの返信を忘れていた(汗)

>塵輔
 読みにくい本ですか? まあ好例でいうと……川上稔氏の「都市シリーズ」、その中でも「電詞都市DT(デトロイト)」でしょうか。あとは「終わりのクロニクル」
 あれは半分ほど読んでギブしました。好きな方も居られるのかもしれませんが、あれは確実に悪文ではないかと。それ以上に実験小説なんですが、自分は好きにはなれませんでした。

> Q
 どうも、Qさん。そうですね、確かにURLの先の記事は、ある程度的をいた話をしていると思います。 押井監督の作品は得てしてテーマを詰め込みすぎて、一般の人には読み取れないほど難解になっている場合が多々あります。原作を読んでいないと分からない部分が非常に多いですし、その部分はマイナスかなあ、と。
 ただ、映像作家としての押井氏は紛れも無く本物であると思います。しかしそれと分かりやすさとは相反している、難しいところですね。

>通りすがり
自分に代わり、説明してくださりありがとうございました。自分が言いたかったのはまさにそれです。
 それと、文章を削ってくれる友人や知人が居るなら、それは非常に得がたいものだと思いますよ。自分には見えない粗が、他人にはよく見えるものですし(笑) その人を大事にして、自分の文章を磨いていってくださると嬉しいです。

  • 2008/07/14(月) 15:37:00 |
  • URL |
  • 雑兵 #-
  • [ 編集]

AC考察でここにきましたー

 簡単なことを意味もなく難しく書いて満足する馬鹿は正直私も嫌いです。あなたの意見に同意です。
 コメントを読めばあなたの意見が「意味のない難しい物」が嫌いだと言うことはわかります。しかし、上の本文を見る限りでは「難解な文=悪文、無価値」ととれることもまた事実。そのことで思うことがあるので少しだけお邪魔させていただきます。



 私は難解な文章も好きです。無論ある程度は内容があるものに限りますが…難しい表現の中に込められた情感や真意を探ることも文章を読むことも一つの楽しみだと思います。簡単な文で与えられるのは事実だけ、事実が伝えたいのなら箇条書きにすればいい。読みづらいから読まないのは読者の怠慢にすぎないと思います。そして誰にも読まれないのなら価値がないと言うのは、理解しようとしなかった読者の言い訳にすぎません。しかし、著者の方に責任は無いと言いたいわけではありません、ただ世の中にいる全ての人が文才に恵まれているわけでもありません。むしろそちらの方が一握りなのでしょう。そして、文章の質と内容の善し悪しは同じではありません。例え文章は読み難くとも内容は一級品と言うことはままあります。それを読みもせずに「酷い文章だ」と切って捨てるのはあり得ないことです。私からすればどんなに酷い文章であろうと内容を読み理解せずに批評することは、批評家きどりの愚か者がすることです。

 哲学書をめくれば実際に頭の痛くなるような難解な文章の世界が広がっています、それこそ一度読んだくらいでは何を言っているのかすらわからない、むしろ読むことすら困難なことが多いと言えます。その中には確かに何の意味も込められていないものもあるでしょう、しかし多くの本には著者が残した財産とも言えるものが詰まっています、それこそ人の価値観、ひいては人生を変えることすらできるものです。ひとつ哲学書を読み下してみてはどうでしょう。たとえばImmanuel Kant著『純粋理性批判』などはどうでしょうか。


乱文長文失礼しました

  • 2009/01/19(月) 03:23:30 |
  • URL |
  • とおりすがり #l6MqoS9Y
  • [ 編集]

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